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中国の可能性とは

中国は伝統的に王朝による国家でした。民は王に付き従い、王は政治を支配する封建国家が、4000年における中国の歴史でした。歴史は権力者によって作られるものであり、その中心が中国であるとする中華文明を自負しています。そんな中国は歴史において、常に東アジアにおける大国でした。それは漢民族の一体性と、他の民族との戦争によって培われています。他の文化よりも優越しているという排他的な自負心のため、清の時代には西欧科学と思想から後れをとってしまい、中国は帝国主義列強の植民地と成り下がってしまいました。民族としてのプライドを傷つけられたことで、そのナショナリズム的な傾向と西欧の科学と思想を流入しようとする傾向が入りまじります。
しかし、毛沢東は農民中心の国家であったロシア帝国の革命に共通点を見いだし、農民による社会主義革命とプロレタリア独裁を実現するべきだと主張します。孫文もその傾向があったが、その死を継いだ蒋介石は欧米列強のおこぼれによって中国を経済発展させようと考えます。国民党の蒋介石は次第に欧米の支援によって中国の支配権を維持しようと考えていたため、それと敵対するソ連の思想を受け入れる共産党の毛沢東とは、いずれ闘争することを宿命付けられていました。廬溝橋事件を契機として1937年に日中戦争が勃発し、毛沢東と蒋介石は一時協力することになります。日本の敗戦によって共通の敵がなくなり、中国における指導者が誰になるのかを争わなくてはならなりませんでした。1949年に共産党の毛沢東は、蒋介石を台湾へ追いやることで中華人民共和国の成立を宣言するに至ったのです。
毛沢東は内戦中に解放された農民の共産主義教育をする反面、非常にスターリン的な方法で国内の共産党に対峙する政治勢力を潰していきました。毛沢東の政策への異議は、すぐにブルジョア勢力の差し金であるとされ、粛正の対象となりました。その最たるものが文化大革命でした。これ自体も、劉少奇やトウ小平の社会主義的経済統制からの転換に反対したものでした。そして、1953年にスターリンが死去し、フルシチョフによるスターリン批判と平和共存が提起されると、中国は途端に反発しました。フルシチョフは社会主義の修正主義であるとして、自らは永久革命論を展開しますが、それも毛沢東が生きている間のことでした。
毛沢東がソ連を牽制するために1970年代にアメリカとの国交を回復し、中国が国際社会の仲間入りを果たします。これにより国際社会とのアクセスが容易になり、トウ小平は改革・開放政策を実施します。これは社会主義を実現する手段として、経済発展のためのプロセスを実行するためのものです。彼は私益追求を許し、農業における生産責任制を導入します。これはレーニンのネップにその起源があるとされています。また華南地域の経済特区の設置によって華僑資本などの外国資本を流入し、中国の科学技術と工業力を発展させようと努めます。中国はこの経済の規制緩和をすぐに受け入れます。毛沢東時代に公民として私益を捨て、毛沢東思想を盲目的に支持してきた国民でありましたが、改革・開放が実行されるや否や、その商業精神を開花させたのです。この過程を見ると、毛沢東の社会主義精神の教育とは、単なる強権による恐怖の現れでしかなかったのではないかと考えてしまいます。
 そして、現代の中国では改革・解放による経済の規制緩和で、未曾有の経済成長を遂げています。2008年の北京五輪、その後の上海万博による建設、生産ラッシュはその原動力となりました。また安価な労働力に魅せられた外国資本が、中国に多くの工場を誘致し、今や中国が世界の工場となりつつあります。しかし、それは危険を内包した発展でもありました。毛沢東の革命によって国民の封建主義精神が消滅されたように思えましたが、いまだ国民の末端にまでその精神は根付いています。それは末端の国民、主に農民にとって物納する先が地主か、共産党政府かの違いでしかなく、上意下達の政治構造は一向に変化しませんでした。また中国の脆弱な経済力が国民の政治意識を教育するのに十分でなかったとも言えますが、改革・解放の経済成長によって下地が整いつつあります。もはや機は熟したのかもしれません。1989年の天安門事件によって、国民の自由を求める政治意識が表に現れ、最近でもメディアを通した地方政府の汚職を追及する抗議行動が目立っています。それは中国に伝統的な官尊民卑の官僚体制と、経済力と身につけた資産家と成長に取りのこされたプロレタリアートによる自由の気風が衝突している証拠かもしれません。
それでも、まだまだ中国は共産党の独裁から抜け出せていません。政治的自由は制限され、共産党以外の野党は認められていません。テレビ、新聞を始めとしてインターネットでさえ、中国政府は規制を強いています。宗教もその統制の対象となっています。中国政府に批判的な意見や、民族的分離を目標とするような組織は、強制力によって排除されます。歴史的な視点に立てば、広大な領土と多数の民族を内包する国家は強権的な体制にならざるを得ません。中国はもちろんのこと、イスラム帝国やロシア帝国などがその例です。ある時には自治や民族的文化の認容などアメを与えることもありますが、基本は頂点への忠誠と国家としての一体性が要求されます。チベットや台湾の扱いも同じです。
では、現代の中国が夜明け前であるでしょうか。経済発展によって富を手に入れた国民は、権利や自由を志向するようになります。欧米では産業革命を出発点に数百年という時間をかけて民主主義を実現しました。近年のアジアにおいても韓国や台湾における開発独裁体制が、経済発展によって民主化運動を引き起こし、民主主義を実現しました。しかし、アフリカなど第二次世界大戦後に独立した後進国は、思うような経済成長を挙げられず、大統領の独裁体制に陥ってしまうことが多いです。それは脆弱な経済力による国民の政治意識の未発達が独裁を許し、民主主義が定着しない原因となります。中国には、その下地が整いつつあります。あるいは、もう十分かもしれません。
今後、中国における民主化の実現は歴史上、大変に重要な出来事となるでしょう。それは4000年間、その土地に民主主義が一度として実現しなかったからです。思想的な欠陥を内包する共産主義とは異なる、民主主義の普遍性を証明することになるでしょう。

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